2021/9/26 更新
先日世界でもっとも有名なジャズバーであるニューヨークのブルーノートが新型コロナの影響で1年ぶりに再開し、ジャズを聴きながらほろ酔い気分になるのは最高だなどと報道された。
私も1996年6月ハイチの調査に行く中継地としてニューヨークに滞在し、可愛いフランス語通訳の女性たちとブルーノートでジャズとウィスキーを楽しむ機会があった。
空港からホテルまで、でかいリムジンタクシーの車内ではブランディ―を嗜み、昼食にはアメリカンビーフステーキにビールを飲み、夕食では3海洋の牡蠣と極上の白ワインを頂いたりとニューヨークにいる間、酒浸りであった。
そのちょうど一年前1995年6月アメリカ医療機器学会に大学の先生のお供で、会場であるカリフォルニアディズニーランド・リゾートホテルに泊まった。
先生方はお酒をあまりたしなまない方々であったので、一人で飲みに出かけた。
夕食後スーツは着たままだったがネクタイを外して、ホテル周辺のバーを探して彷徨っていると中年の白人に声を掛けられた。
「ハイ、どこから来たんだ。」、「日本からだよ。」と答えるとすかさず、「金をくれないか。」と急に言われた。
まだ日本のバブルがはじけて間もなく、日本人をだとわかると金を持っていると思われたのか。
見ると彼のポケットが銃のようなもので膨らんでいる。
(あ、やってもうた。ここで人生終わるのか。!)
なぜか周りには誰もいない。おもむろに財布を取り出し、つかんだ紙幣が20ドル札だった。
なんで100ドル紙幣をつかまないのかと思いつつ、それを差し出すとあっさりと受け取り、何も言わずに去っていった。(何だったのだ、今のは?。)
この20ドル、微妙だったかもしれない。
急いでホテルに帰るとどっと疲れが出て、酒も飲まずに寝てしまった。
翌年、酒飲みのリベンジはできたが。