代表・安食和博による[世界のお酒ブログ]「お酒を飲むこと」

<序>
世界の各地でお酒というものを考えた。

私の趣味はお酒を飲むことです。
学生の時からずっとお酒を飲み続け、生活の一部というか、これまで訪問した約100ヵ国での仕事や遊びをしながらの、人生のパートナーの様なものになっている。

この新型コロナ禍でもリモートワークの生活の中での唯一の楽しみが家での一人飲みになってしまった。何かさみしいところもあるが、これが現実である。

これまでいろんな国や地域での酒にまつわる経験や出会った人たちと、酒を酌み交わした記憶をさかのぼり、つれづれに記していく。と言うかほぼ私の終活ノートになるのかなと思われる。

新型コロナ禍での家飲みと隔離ホテル生活(ラオス)

2022/10/29 更新

新型コロナ感染拡大による飲食店の営業制限が解除され多様だが、未だ感染が完全に封じ込められていない状況で、飲み会の自粛が事実続いている。私もこの数か月家族以外と外食はしていない。しかし、その分家飲みが増え、日曜の晩を除く毎晩家でストロングのレモンサワーから始まり、赤ワイン、焼酎もしくはウィスキーの炭酸割の酒をかっ食らっている生活を続けていた。言い訳としてストレスの解消、唯一の楽しみなどなどいろいろと理由を付けて、どんどん深酒になって行ってしまった。さすがにこんな状況が続くと体調に異変が生じ始めている。下痢が続き、喉の奥がカラカラとなり異物感があり、歯をカチカチとする変な癖がついた。そんな折本屋で飲酒の書かくなる本を見つけ早々に読んでみた。最初医師が書いた本かと思ったら、酒好きの女性ライターが酒に関連する専門医の意見をまとめた本だった。著者はこの新型コロナ禍で5リットルの業務用ウィスキーを買い家飲みに陥ったことなど、私と同様酒飲みのあるあるが記されていた。本の趣旨は健康を保ちつつ如何に美味しくお酒を楽しむかという私も賛同する内容であった。ほとんどの内容はこちらも心得ている話だったが、特に目を引いたのは飲酒による口から胃に掛けての癌のリスク向上と依存症の増加である。他人ごとではない。書中のWHOが開発したスクリーニングテストAUDITを試してみたら20点、早急な治療が必要な依存症群に入ってしまった。やばい。!この口から胃に掛けての不快感はもはや癌ではと思い、そうそう近くの耳鼻咽喉科に駆け込んだ。結果、逆流性食道炎による食道と喉の荒れと副鼻腔炎の再発であった。(以前ケニアで、泥酔しホテルの窓を閉めずに寝てしまい、真夜中の蚊によるマラリアにかかった後に、副鼻腔炎を発症し、帰国後手術・治療した。)

何時からこうなったのであろうか。思い返すに約一年前、新型コロナ禍でラオスに3週間ほどの業務なのに帰国まで1か月半も掛かった折りだった。日本でのPCR検査で陰性であったにもかかわらず、入国後2週間ホテルに完全隔離されてしまった。防護服を着たホテルのスタッフが毎日朝昼晩と弁当を部屋の前に置き、部屋から一歩も出ることができない生活を続けた。唯一の気晴らしは酒である。ホテルにオーダーすれば酒はいくらでも供給してくれた。ほぼ毎日、他の業務で昼は日本とのウェブ会議会議はあるもの、夜はBBCのテレビを見ながら酒を飲む以外なかった。業務終了後に週一便のフライトが取れず一週間待たされ、毎晩のみに出歩いた。帰国時に検査で陰性が確認されたが、成田から家まで専用のタクシーで帰り、自宅隔離2週間が始まった。携帯の位置情報とランダムに来る位置確認とビデオ録画を義務付けられ、やはりこの間酒を飲むしかなかった。

新型コロナ感染は、私の孤独な酒飲み習慣を授ける天使のような悪魔であった。

檳榔樹(ビンロウジュ)とビール どちらも気持ち良くなるもの[パプアニューギニア]

2021/10/18 更新

先週、約30年前にパプアニューギニアに1年半ほど滞在中の運転手に贈り物を贈った。

半年前、日本人のPNG技術協力プロジェクト団員が私の参加している別案件の会社に所属しており、私の名前が伝わり、現地のその運転手が私のことを話して問い合わせが来たのだ。

その運転手は自分の子どもの名前に私の名前Kazuhiroを付けてしまったので、何か彼に送りものができないかとの問い合わせだった。その団員が先月帰国し、先週現地に再赴任した時にサーモのステンレスペアカップ及びペアTシャツに運転手であるおやじの名前と息子の名前Kazuhiro印刷しものを持参してもらった。

私もほぼ毎日サーモのステンレスカップにビール(糖質ゼロ)を注ぎ、冷たいままのビールを家飲みで楽しんでいるので、彼ら親子にも楽しんでもらおうと思った。

熱帯のPNGのポートモレスビーにいた私は現地で冷たいビールを毎日飲んでいた。時には昼食時も飲んでいた。現地人にとってビールは当時高いもので、毎日飲めるものではなく、代わりにパプアニューギニアのビアと現地人が言っているのがビンロウジュ実である。マスタードと言われる緑の茎とライムと言われる石灰の粉を口の中でかみ砕きながら混ぜると濃い朱色に変わり、麻薬のよう効果がある。

これは飲み込むことはしないため、皆道路にペット吐き出すため、道は至る所赤い血のような廃棄物に染まっている。吐いた後もニッと笑うと歯が真っ赤に染まっているので不気味である。私も試してみると唾液と口の中で混ざって、あら不思議クラっと来る。これが皆気持ち良くて、大人から子供まで楽しんでおり、町中どこでも売っている。

WHOはこのできた朱色の物質自体を当時否定していなかったが、石灰を長期口にすると喉頭がんになると言って、穴の開いたほっぺの写真を配っていた。

やはり私はビールがいい。運転手親子もビンロウジュではなくビールを飲んでいてもらいたい。

かちかちレモンハイボールとオンザロック なぜ人は酒を飲むのか[日本]

2021/10/17 更新

子供の時から日本にいるときは、日曜休日の夕刻のまったりしているにいるときはいつもテレビ番組笑点見ている記憶がある。せっかちな性格の私は落語を聞くのは話が長いので少し苦手だが、落語家による大喜利は小気よく、次から次へとお題に応えるさまを楽しみにしている。昨日のお題は「(人は)なぜ酒を飲むのか?」であった。「愛人と乾杯するため」とか、さすがの落語家たちの答えはこれと言った面白い回答は出なかった。

その前の土曜日、午後6時に閉まるシェアオフィスからの帰りに野毛の立ち飲み街に寄ったら、緊急事態宣言解除後の開放感のためか、多くの人でにぎわっていた。立ち飲み屋では客が隙間なく飲んでいるので入れず、カウンター座り席のある店に空きを見つけたので入り、凍らせたレモン一個分を4つに切って入れたハイボールを頼んだ、飲み切るとレモンを残し、追いハイだけを注ぎ、続けざま3杯飲んだ。

カウンターはアクリル板で仕切られ、仲間や夫婦のグループに挟まれ喧騒の中で飲んでいるとき、ふと自分の酒の飲み始めを思い出した。学生時代に川崎の友人の家に呼ばれ、訪問すると数人の先輩たちと酒盛りが始まっていた。酒は有名メーカーのウィスキー(赤)で氷を入れたオンザロックを勧められ、調子に乗りがぶがぶ飲んでしまった。

気が付いたら、私は京浜急行の泉岳寺駅に止まっている電車の床の上で、自分で吐いた反吐の中を泳いでいた。電車を逆方向に乗って終点の駅で起こされたのだった。(京浜急行の職員の方々、ご迷惑をお掛けしました。申し訳ありませんでした。)それから45年間ずっと酒を飲み続けている。私はなぜ酒を飲むのか。?

ワインと密造酒と一気飲み[ロシア]

2021/10/11 更新

昨日の国際ニュースでロシアでは温暖化のため、黒海沿岸の南部では良質なブドウが取れるようになり、美味しいワインが製造できるようになったようだ。豊かな中流層が増えたことにより食生活も多様化し、イタリア料理やフランス料理店が増え、ワインの消費量が進んでいる。当分は国内消費だけで、当分日本には入ってこないようだが、ぜひ飲んでみたいものだ。

片や次の日のニュースでインタファクス通信によると、ロシア南部のオレンブルク州で、地元で造られた密造酒を飲んだ住民64人が中毒症状を起こし、32人が死亡した。

押収された密造酒には人体に有害なメタノールが含まれていて、死亡した住民の体内からは致死量の3倍から5倍のメタノールが検出されたということ。捜査当局は、密造酒の販売に関わった疑いで9人を拘束している。

密造酒はウォッカのボリュームを増やすためにメタノールを加えているものと考えられる。豊かなワイン製造と陳腐な密造酒製造ロシアも広く多様な社会なのかなと思えた。

実は私はロシアへ行ったことがない。何度か行く機会があったが直前でキャンセルとなっていた。

もちろんロシア製のウォッカは大好物だ。冷凍庫で凍らせ水あめのようになったウォッカを舐めるように飲むのがたまらない。

そんなおり、横浜の花火大会の夜、知り合いの建築家の屋上花火見学バーベキューに家族で呼ばれた。最初ビールを飲みながらバーベキュー食べていたが、途中で男性のロシア人5名がウォッカを持参して参加した。

彼らも最初ビールを飲んだが、その後はショットグラスにウォッカを次いで一気飲みを始めた。皆英語が喋れ、ウォッカに釣られこちらも一気飲みを始めると、花火大会の高揚感と蒸し暑い夜で上半身裸になり、一気飲みするごとに抱き合い、大いに盛り上がった。途中から記憶はなく、かみさんに車で連れて帰ってもらったようだ。

密造酒とチュウチュウ濁酒[ケニア]

2021/10/10 更新

ロシアの密造酒のニュースを聞いており、二十数年前ケニアの保健省に医療機材の専門家として駐在していた時のことを思い出した。

北部の町で五百人を超える人が一気に死亡し、その原因が同様にエタノールの入った酒によるものだった。もともとケニアでは酒を造るライセンスというものが当時無かったのではないかと記憶する。

ケニアやウガンダではサトウキビを手動の絞り機を使ったジュース売りが街のあちこちに居る。確かこのジュースを発酵させ、どぶろく(濁酒)の様なものを作り、大きなカメに入れ、みんなでそれぞれのストローでチュウチュウ吸って楽しむ習慣がある。

私も御呼ばれされ飲んでみたのだが、甘酸っぱい白い酒で、まずくはないのですがストローで飲むこともあり一杯飲めなかった。この習慣は結核の感染原因になっているので保健省では、しないように指導しているが、ローカルな飲酒の習慣として楽しまれている。そしてこの濁酒などをドラム缶蒸留器を使って蒸留することにより現地の焼酎ができる。夕方帰りがけに引っ掛けて帰るのはケニアでも日本でも同じである。

蒸留作業は面倒で多くの焼酎はできないので、工業用のエタノールを混ぜて一気に量を増やす。とりあえずエタノールであればこんなことにはならないのであろうが、メタノールの方が安いためか、なんかの手違いでメタノールを混ぜてしまい、一気に500人以上死ぬ。2年間ほどの駐在期間中に2度発生した。

こんな事件の多くは皆悪気が無いのだが、ちょっとした手違いで数百人レベルが死ぬことが生じる。

ブルーノートとディズニーリゾート[アメリカ]

2021/9/26 更新

先日世界でもっとも有名なジャズバーであるニューヨークのブルーノートが新型コロナの影響で1年ぶりに再開し、ジャズを聴きながらほろ酔い気分になるのは最高だなどと報道された。

私も1996年6月ハイチの調査に行く中継地としてニューヨークに滞在し、可愛いフランス語通訳の女性たちとブルーノートでジャズとウィスキーを楽しむ機会があった。

空港からホテルまで、でかいリムジンタクシーの車内ではブランディ―を嗜み、昼食にはアメリカンビーフステーキにビールを飲み、夕食では3海洋の牡蠣と極上の白ワインを頂いたりとニューヨークにいる間、酒浸りであった。

そのちょうど一年前1995年6月アメリカ医療機器学会に大学の先生のお供で、会場であるカリフォルニアディズニーランド・リゾートホテルに泊まった。

先生方はお酒をあまりたしなまない方々であったので、一人で飲みに出かけた。

夕食後スーツは着たままだったがネクタイを外して、ホテル周辺のバーを探して彷徨っていると中年の白人に声を掛けられた。

「ハイ、どこから来たんだ。」、「日本からだよ。」と答えるとすかさず、「金をくれないか。」と急に言われた。

まだ日本のバブルがはじけて間もなく、日本人をだとわかると金を持っていると思われたのか。

見ると彼のポケットが銃のようなもので膨らんでいる。

(あ、やってもうた。ここで人生終わるのか。!)
なぜか周りには誰もいない。おもむろに財布を取り出し、つかんだ紙幣が20ドル札だった。

なんで100ドル紙幣をつかまないのかと思いつつ、それを差し出すとあっさりと受け取り、何も言わずに去っていった。(何だったのだ、今のは?。)

この20ドル、微妙だったかもしれない。
急いでホテルに帰るとどっと疲れが出て、酒も飲まずに寝てしまった。

翌年、酒飲みのリベンジはできたが。